エルメス日本導入の橋渡しを行なったのは、堤邦子を筆頭とする西武百貨店関係者だ。尽力の結果、1964年に代理店契約が結ばれたものの、売上げはまったく伸びなかった。「三十年前、いや十年前まで、売り上げはさんたんたるものだった」(「日経産業新聞」1994年4月25日)のちにエルメス・ジャポンの加藤前社長が回想しているが、実際に月に数点しか売れないということもあったという。当時の西武で宣伝部長、営業企画部長などを歴任した三島彰も、エルメスが「今のように売れることなど、夢想もできないこと」だったと回想する。「このころのショップのセールスはエルメスはスカーフメーカーだとばかり思い込み、もともと皮革が本命だということなどまったく知らないという状態」で、契約を維持すること自体が「大変骨の折れること」だったという。やがて、「西武だけで売っていてはどうにもならない」と考えた三島は、邦子と以前から親交のあったサンモトヤマにも商品を置いてもらえないかと依頼する。ここに至って、茂登山の願いも最終的に叶えられることになった(『20世紀日本のファッション』)。